2013年2月15日金曜日
じいさん、ばあさんの思い出
石原元都知事(現衆議院議員)の国会討論が一部で話題になってましたが、その話題の中の一つ、中国を「支那(シナ)」という名前で呼ぶという話について、自分的には政治的にどーしたこーしたという想いはないのですが、シナという言葉を聞くと死んだ自分の祖父母を思い出すのです。
自分の祖父母は戦前は満州の開拓で大陸に渡った人間でした。じいさんは満鉄(満州鉄道)に務めていて列車の運転手をしており、戦場に兵士さんたちを運ぶ仕事をしていたため戦争で死なずに生きて返ってこれたのだと話していたり、本人の話によると、結構、腕も良かったようで、列車をピッタリの位置に止めるコンテスト(まるでリアル版電車でGo!ですな)なんかでいい成績をとったなどなど、自慢話もしてくれたのを覚えています。
あと、ばあさんは本場じこみの焼き餃子がすごく上手で、晩ごはんが餃子の日はとても楽しみだったのもいい思い出です。そのおかげか、いまでも餃子は大好きなのですが、ばあさんの餃子はニンニクとか一切入ってなくて、お店の餃子とはちがうなーと思ってたら本場ではあんまし餃子にニンニクとか入れないらしいのです。その事を知った時には、あぁ、ほんとに本場風だったのだなと、納得したものでした。
ただ、楽しい話ばかりでなくって、当時、敗戦が決まってからは、満州での暮らしもかなりしんどかったらしく日本のへの引き上げまでの大変だった経験談なども話してくれて、戦争は怖いものだと子供ながらに聞いていました。その話の中で、祖父母は当然のように「シナ」という言葉を使って話をするのですが、小学生だった自分には最初、まったくピンとこなかったんですよ。もすこし大きくなってから理解したのですけれど、そのおかげで自分の場合、シナという言葉を聞くと、その言葉とリンクしている死んだ祖父母(そして、その話)を思い出してしまうのです。
そうそう、同じようにじいさん、ばあさんが使ってた言葉で言い方が変わってしまったモノで覚えているが朝鮮漬ですね。いまでは、「キムチ」って言い方がすっかり浸透してます。
ま、こんなかんじで、時代とともにいろんな名称や言葉が変わっていくことはごくあたりまでふつうのコトなので、ムリに抗わなくてもいいんじゃないと思ったりするんですよ。言葉への思いは人それぞれ色々あると思うんですが、会話の中ではより通じやすい言葉を使えばいいんだとおもいますね。