2015年7月14日火曜日

追悼・岩田 聡さんの思い出



 ずっと更新していなかったブログをこんな寂しいテーマで再び更新することになったことがとても辛いのだけれど、やっぱり、いま書くのがいいと思ったので書いてみた。

 昨日、突然に任天堂社長・岩田聡氏の訃報が届いた。自分はずっとプレイステーションフォーマットで仕事をしてきたので、岩田さんとは一緒に仕事をする機会もなく、直接合って話をした事でさえ、イベントか何かで挨拶を交わし事があるくらいだったけれど、他のゲーム業界のプログラマと同じように、偉大な先輩として一方的な憧れのような心は、もちろん抱いていた。プログラマとして開発の現場から、あの任天堂の社長になり、業界を引っ張っていたスターだし、比べるのは難しいけれど、自分の中ではチュンソフトの中村光一さん、ソニー・コンピュータエンタテインメントの久夛良木健さんにならぶ大スターだったのはまちがいない。

 そんなかんじで、一方的にあこがれているだけだった自分が強烈に岩田さんを再認識した事件というのがあって、それは、なにかというと、自分がはじめて参加した 2005年の GDCでのキーノート。この 2005年の岩田さんのキーノートはまさに別格でいまでも鮮烈に記憶に残っている。

 実はコレ、自分の講演などでも、アメリカでの任天堂のレジェンドぶりを語る際にはいつも引き合いに出す話で、初めて参加した GDC でそのキーノートが聞けたのは暁光だった。キーノートの内容は超ざっくりいうと、岩田さんの歴史で、自分が開発者としてどういう風にゲームに関わってきていて、どれほどゲームが好きなのか。と、そんな感じの内容だったと思う。自分的にはそれなりに知っている話でもあったので「そうそう」と楽しく聞いていたんだけれど、それが一転して、印象に強く残ったのは、そのキーノートを聞いていた会場のアメリカ人(男性)が感極まって泣いていたのを目撃したから。これ、まじです!!



 その後、現地で色々と聞いた話によると、アメリカで NES (ファミコン)の成功は、アミガショックで崩壊したアメリカのコンソールゲーム市場を復活させたという事もあり、日本以上にゲームファンの人の任天堂に対する尊敬の念が強いと言うこと。そして、その任天堂の社長にまさに開発畑からの出身者(岩田さん)が上り詰めたという事。さらに決定的だったのは、岩田さんがキーノートの冒頭で語った下記のメッセージ

On my business card, I am a corporate president. In my mind, I am a game developer. But in my heart, I am a gamer.

 これが、最高に胸に刺さったという事だった。
 そりゃ、泣くわ。これは、ほんと、ずるいくらいにかっこよすぎる(^^) ゲーム開発者の心をわしづかみだよ!!!

 ちなみに、キーノートを聞いていた人達が感極まって涙を流していたという話、いろんな所では話ていたら、岩田さんと交流のあったポストペットの八谷さん経由で、岩田さんの耳にも届いたらしい。これは、あとで八谷さんから教えてもらってちょっと嬉しかった。

 このキーノートは本家の GDC Vault にも残っていて無料で見ることが出来るので、ゲーム業界で働く方たちは、ゼヒ見て頂ければと思います。


 最後になりましたが、故人のご冥福を心よりお祈りいたします。
 そして、ありがとうございました!

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